今日で 7月も終わり、明日から 8月になろうというのに ・・・・
暑中お見舞い が出せません。
関東地方は、例年通り 「梅雨明け」 宣言が出され、
耳なれない 「戻り梅雨」 という言葉が、話題になったりもしていますが ・・・
関西以西の、まだ梅雨も明けない、山陰や九州地方の
大雨? 大水? のすさまじいニュースを目の当たりにしますと、
関東地方の 「戻り梅雨」 は、実に穏やかなものと言わざるを得ません。
WEB という新世紀 の ビジネスツール のお陰で、
わたし共のような小さな会社でも、
全国津津浦浦、ありがたいことに タラコユーザーさん がおられるわけで、
関西以西の、ことに山陰、九州方面 のユーザーさん のことは、
日々の 商品の出荷発送 も絡んで、
いやが上にも、気にかかってしょうがないといった次第です。
被災地の方々、今しばらくご辛抱願い、
どうかなにとぞ 大過なく、お過ごし下さらんことを、
そして、一日も早く 平穏な天候に戻りますことを、
チームTARACO一同、心から祈念申し上げます。
こんな言葉でしか お見舞い できませんこと、慎んでお詫び申し上げます。
はてさて、今日は何の日でしょう?
慎に申し訳けありません。
実は、私の53歳の誕生日。
昭和31年7月28日 午後3:00
大阪の小さな産院で、父、30歳、母、26歳の第一子、長男。
頭囲33cm 胸囲30cm 体重2500g
頭の大っきな色白の未熟児寸前の赤ん坊。
真夏で気温が高かったので、保育器には入れられなかったとのこと。
真冬であれば、保育器直行の未熟児扱いであったとのこと。
今は亡き母から、よく聞かされた私の誕生当時の話です。
幼少期、まっ当時のたいていの家庭がそうであったと思いますが、
我が家は、たいへん貧乏な時代だったそうですが、
私には、その当時の極貧生活の記憶が全くありません ...ありがたいこってす。
唯一、なんか子供心に、
幼稚園児ぐらいの年頃だったでしょうか、
父の会社の同僚の方から頂いた、
お下がり (死語でしょうか ・・) の洋服が、
どうも自分的にしっくりこないというか、
その洋服だけは、なんか着ることがはばかられる ・・・・・・
そんな風に思ったことが強く印象に残っていて、
成人してから、なにかの拍子に、その服のことを思い出し、
当時、そんな不思議な気持ちであったことを、
何気に母親に告げましたら、
なんとその洋服は、
父の同僚の 娘さん のお下がりの ワンピース であったことが判明し、
服にこだわったことがなかったはずの子供だったのに、
妙に、その服だけは、自分的になんかこう・・納まりが悪い印象が残っていて、
それは、たぶん、ズボンをはかせてもらえず、
その洋服の下、まっワンピースなわけで、
だから、即おパンツ。
しかも毛糸のパンツということに起因していたと、今になって分かった次第。
ともかくも、子供心にも、なんか着るのをはばかられた、
そんな、なんともいえない謎の思いの原因が、明らかになって、
とてもすっきりした覚えがありました。
そんなことぐらいしか私ん中には記憶がない当時の極貧生活を経て、
私と妹 二人を大学まで出してくれた両親には、ただただ頭が下がります。
あらためて、自分たちの子育てに比べ、
両親の子育ての苦労に、深く低く頭を下げざるを得ません。
おやじ、おふくろ、 ・・・・・・ ありがとう。
53度目の誕生日にして、 ようやく、そんなこと 思っています ......感謝/合掌
実は、昨年末、すい臓癌の末期を宣告され、
今年に入って、入退院を繰り返しておりました、
家内の父 (私にとっては義父) が、
去る 6月23日の朝、静かに天に召されました。(享年77歳)
一人っ子の家内を、
19歳で義父から略奪するように結婚して、はや24年余り。
結婚後は、にくたらしかろうはずの 私の “ 一 の 応援団長 ” となって、
70歳間近にして、何を思ったか、パソコン を求め、以来 独学で習得し、
ほどなく、Yahoo にて インターネット も開設し、
この ブログ にも、貴重な コメント を 投稿してくれた その父 が、
今は、ない という 事実 が、
まだ、自分の中で、しっかりと実感できていないというのが、
実は、 ホントのところです。
写真が趣味の一つだった 父 は、
わたしのブログの つなぎ用の画像 が欲しいという
あつかましい求めにも、快く応じてくれて、
お気に入りの写真集 から 厳選しては、
言いも、頼みもせんのに ・・・
わざわざ 画像サイズ を
このブログ用に リサイズ して送ってきてくれるという ・・・
そんなさりげない優しさを滲ませる、大好きな親父でした。
冥福を祈る。 ........ 感謝/合掌
多羅尾様
ご無沙汰しております。
まったく急ぎの用件ではないので、
お時間のある時にでもご覧いただければと思います。
先日のブログ「伝える」ということについて、
たくさんの言葉を弄して、
たくさんの情報を提示して、
それだけで相手に伝えた気分になっていても、
それが相手の胸の中まで届いていなければ、
それは伝えたことにならないよね。
どんな言葉で、どんなタイミングで、どんな方法で伝えればしっかり届くのか。
本当に伝えたいことが、まんま、ちゃんと伝わるのか。
そのことをいつも頭において、
お客さんとも仲間とも、
コミュニケーションできるようになりたいね。
これが、先日の打ち合わせで私が言った言葉です。
ブログを拝見し、ホントびっくり。
なんだか勝手に親近感を覚え、
正直な感想をお伝えしようかな・・・という気持ちになりました。
残念ながら、御社のユーザーになることのなかった私ですが、
資料を送っていただいた時の気持ちは、
「私なんかに、こんなにいろいろ送ってくれてもなぁ・・・」
必要と思っている物については、
ある程度イメージもあり、すぐにサンプルも作っていただき、
それは本当にありがたく思っています。
けれど、それ以外のもろもろの資料については、
「これどうしよう・・・」まず、そう思いました。
せっかく送っていただいたので、見てみましたが、よく分らないものも多く、
「これ、誰にでもこんなふうに送ってるのかな?」というのが正直な感想でした。
私が特別例外的なユーザーもどきだったのかもしれませんが、
ブログを拝見して、その時のことを思い出しました。
問い合わせる側の気持ちとしては、
こんなの作れるかな?・・・ということに応えてくれる会社なのか。
最も知りたい事はその一点でした。
それ以外に与えてもらうとしたら、
気軽に問い合わせてもいいんだという安心感と、相談しやすさ。
そして、どんな時に御社を思い出したらいいのかという具体的イメージ。
私みたいな場違いな問い合わせは例外的で、この感想も的外れなのかもしれません。
だとしたら、ごめんなさい。
しょうがねぇなぁ、と笑って削除してくださいね。
御社のますますのご発展を祈っております。
A.K
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A.Kさん
心起こす感想、慎にありがたし。
わたしの中で、
・ ユーザーの心理は、そうではなかろうか? から、
・ ユーザーの心理は、きっと、そうだろう。
の仮設を、グッグッと後押しする貴重な感想に、心励まされます。
心勇んで、実行に移します。 感謝/合掌
・ | 1956年7月28日生(A型) |
・ | 趣味:犬の飼育(ダルメシアン2頭飼育中) |
・ | 小学2年迄、大阪 |
・ | 小3から小4迄、愛知県岡崎 |
・ | 小5から現在迄、川崎 |
・ | 中学2の1970年、父/光隆が、同地にて、タラオ電機(現コムデック)創業 |
・ | 1980年から1999年 和泉電気(現IDEC)勤務 |
・ | 2001年 代表取締役就任 |