北京五輪で銀メダルを獲った瞬間、
あのフェシングの太田雄貴選手は、
確か泣いてなかったような印象が私にはあります。
どちらかって言うと、ヤッター!って、
笑顔の印象が強く残っています。
そんな太田選手が、
「森永製菓」への就職決定の記者会見では、男泣き。
それも大泣きしているのを見ました。
オリンピックのメダル獲得の快挙の時には、涙を見せず、
今どき、就職できたことで泣くなんて・・・・。
太田選手のことを私はよく知りません。
以下は、私の勝手な推量です・が、・・・よかったら聞いてください。
大学卒業後、就職せず、
日本では、全くマイナーなスポーツ「フェンシング」 に
青春というか、人生をかけて
打ち込まれたんじゃないんでしょうか。。。。
しかし、周囲からの 「ニート剣士」 なる陰口・・・
辛かったんだろうなぁ・・・。
金銭的に、いはんや精神的に、
どん底の状態を舐めながら、
「フェンシング」 をメジャーなスポーツにするという夢をもって、
自らの人生を捧げられたんじゃないんだろうか・・・・。
貧困のどん底にあったリンカーン。
乞食のような生活を経て豊太閤。
水のみ百姓の父なし児の不具の運命にないた野口英世。
みんなどん底の中に生きて、
夢を失わず、苦しい中によろこび(希望)を見出して、
自からを捧げた人たちの運命は、やがて明るいんだなぁ・・・・。
そして栄冠に輝いた太田選手が、
家族や仲間、そして見知らぬ多くの人の支えに、
感謝されていました。
すばらしい若者の涙から、
私みたいなオッサンが、生きる勇気をもらいました。
「柿」 のおいしい季節となりました.....ねぇ。
「柿が赤くなれば、医者が青くなる」 とか、
「二日酔いには、柿」 とかって、言われてます よ ・ねぇ。
でも、実は、私の場合、
最近まで ・・・・・ん、まっ正直、
あまり 「柿」 という果物は、好きじゃありませんでした。
ここ最近の 「柿」 って、
以前より、グググっと甘くおいしくなったんじゃ ・・・ありません?
少なからず、種なしの 「柿」 は、私を 「柿」 好きにするのに、
大いに貢献したことは、間違いありません。
「柿」 って、「ゴボウ」 同様に、
日本人しか食べないんじゃないかっ ・・て、
イアリア料理や、中華料理、まっ洋食全般と言ってもいい、
これまで、私ん中では、食べたり、料理やお菓子になったりしたのを
まっ、みたことないよ う な ・・・・。
で、Googleで 「柿」 で検索したらば、
いやはや、どうも日本に限らず、あちこちの国でも、食されているみ たい・・な。
「 秋深し、柿 が鳴るなり法隆寺 」 違うか。
まっ、でも、自分的には、
「柿」食べて、舌鼓を打っている今の季節は・・
「秋深し・・・・」 みたいな〜〜〜。
下の写真、
女房の実家から頂きました、熊本県は、 「 荒尾 」 のジャンボ梨。
朝出かける前に、女房から、
「今日の夜ご飯の後に出すからね。」
で、
「行って参りま〜す。。」
で、
夜ご飯の後、生まれて初めて頂きました。
食べる前、 私のイメージ ・・・・
まっ、こ〜んなに、デッカイ 梨っすから ・・・・
たぶん大味っす。
きっと大味っす。
カスカスとは言わないまでも ....水々しくは、絶対ないっす。
こっちで売ってたとしても、 .... まっ、買わないっす。
どっこい、冷蔵庫で、冷えたやつを出されて ・・・・・
パクッと一口 ・・・・・・
「マジ、 ヤバいっす。」
「ブッチャケ、 うまいっす。」
「おいし〜いっす。」
「生まれて初めて、こんなおいしい梨、食べたっす。」
自分的には、
食べやすく小さく、いくつにもカットして、
フォークで刺した、お上品な食べ方より、
ザクザクっと、4つ切で、直に手にとって、
すいかみたいに頬張って、食べる方が好きっす。
その方が、 「断然 、うまいこと請け合いっす。」
果汁がほとばしちゃって、 「もっ、ムッチャ、あまいんす!」
しかも、あの上品な梨の甘さが・・・っすよ。。。。
もう、口ん中、いっぱい、一杯っす。
こいつは、マジ おいしかったっす。
ひっさしぶりに、感動したっす。
来年と言わず、またすぐ食べたいっす。
な〜に、贅沢ゆってすんか ・・・・・ 「確かに!」
親友の下町くんの一人娘が、先日、結婚した。
下町(以降、下ちゃん)くんとは、先だっても、
名古屋くんだりで、杯を酌み交わしたっちゅうに、
全く、一人娘の縁談の話なんぞ、そん時は、おくびにも出さず、
全く、突然の、彼からのメールで、
「某月某日 娘M 結婚します。」
「ついては、祝電頼む。」 と。
更に、芋洗坂係長風 の 猪熊(以降、猪ちゃん)くんから、
下ちゃんからのメールを追いかけるように、
「既に連絡がいってたら、ゴメン。」
「某月某日、下町くんの愛娘Mさんが結婚されます。」
「つきましては、祝電の方、お願いします。」
友達思いの猪ちゃんみたいな奴がいて、
下ちゃんは、幸せな野郎だ・・と思いました ね。
そんな下ちゃんと猪ちゃんの2人とは、
3人揃ってというのは、なかなか最近ないけれど、
どちらか1人となら、しばしば杯を酌み交わします。
同年代のオッサンが、酒飲みながら話す話っちゃぁ・・・ねぇ、アンタ。
まっ、仕事の話。
でっ、会社の話。
ほいでもって ・・・・・やっぱ、仕事・・に関する お話。
最後に、子供と親の話で、ちょこっと女房の話 ってか....。
そんな、ちょこっとする家族の話でも、
猪ちゃんとオデは、テレもせず・・・・
我が子の子供自慢の話ができる、親バカ同志。
とっ ころが、下ちゃん。
まぁ・・・進んで、娘の話なんか・・・
しないよねぇ〜。
したことないよねぇ〜。
そも、娘の話を、のばそうとしないで、締めようと・・・・
するよねぇ〜。
そこいくと、 猪ちゃん。
娘自慢だよねぇ〜。
もっ、五月蠅いぐらい・・・・ヘヘヘ。
そこへもってきて、負けず嫌いのオデも、
息子二人、ポケットに入れて持ち歩きたい ・・・なぁ〜んて、
言うよねぇ〜〜。
そんなそんな、一人っきゃいない娘なのに、
娘の自慢どころか話すら、あまりしたがらない下ちゃんから、
娘Mさんの結婚式を終えた翌日、写メを頂戴致しました。
題 : M結婚
祝電ありがとう!式で読み上げてもらいました。
おかげで無事に行ってしまいました。
ちなみに泣いてません、念のため。 下町
−END−
この娘さんの写真をお見せできないのが ・・・・全くもって、残念。
下ちゃんの娘、 メチャ美人。
こんなに奇麗だったんだ・・・・聞いてねぇよ〜。
あいつ、娘のこと、実は、可愛くって可愛くって、しょうがなかったんだ・・・。
そんな下ちゃんの気持ちが、ヒッシヒッシと伝わってくような
幸せそうな若いカップルの結婚式の写真が2枚。
ででで、 最後は、聞いてもいやせんのに・・・自分から、
「泣いてません」 だって、
しかも、 ごっ丁寧に 「念のため」 つき....アホか!
お前、心ん中で、
大泣きこいてんの、
もう、バレバレですから〜〜〜〜。
「腹と倉とは一緒に立ちません。」
「腹を立てて、倉を立てた人はおりません。」
「腹を立てる人は、貧乏性なんやで。」
「腹が立つということは、
相手(人、もの)の立場になってあげられへんからや。」
今は亡き母に、生来の短気から癇癪を起しては、
よくよくたしなめられた私への? 躾 ?の言霊でございます。
相手やものを自分の思うようにしようとするから、腹が立つ。
相手の立場、相手の心に添ってやろうと考えたら、
腹は立たないんですよね....おふくろ。
できてない自分の心の、
見たまま感じたままを思い切りしゃべりちらす、
そこに悲しい運命が近づいてくるんでしたよ ・・ね...オフクロ。
?キジも鳴かずば、射たれまい?
?雄弁は銀であり、沈黙は金である?
よくよくお前は、思案心して、
日々過ごさせてもらわんと、アンタはいかんよ・・でしたよ ね、お母さん。
心を低くして、頭を下げて、相手のいうことを聞いてやる、
たとえ無理とわかっていても、まずは黙って聞いてやる。
それくらいの度量のある男になりなさいよ・・・お父さんの息子なら。
そうした人格の人には、争わなくてはならない様な悲しい運命は訪れません。
あぁ・・・反省、幾度重ねたし....? 感謝・合掌 ?
「鳴かぬなら、鳴くまで待とう、ホトトギス」
徳川三百年の繁栄の礎は、徳川家康のこの姿勢にあったんですよね...お母上。
・ | 1956年7月28日生(A型) |
・ | 趣味:犬の飼育(ダルメシアン2頭飼育中) |
・ | 小学2年迄、大阪 |
・ | 小3から小4迄、愛知県岡崎 |
・ | 小5から現在迄、川崎 |
・ | 中学2の1970年、父/光隆が、同地にて、タラオ電機(現コムデック)創業 |
・ | 1980年から1999年 和泉電気(現IDEC)勤務 |
・ | 2001年 代表取締役就任 |