北京五輪で銀メダルを獲った瞬間、
あのフェシングの太田雄貴選手は、
確か泣いてなかったような印象が私にはあります。
どちらかって言うと、ヤッター!って、
笑顔の印象が強く残っています。
そんな太田選手が、
「森永製菓」への就職決定の記者会見では、男泣き。
それも大泣きしているのを見ました。
オリンピックのメダル獲得の快挙の時には、涙を見せず、
今どき、就職できたことで泣くなんて・・・・。
太田選手のことを私はよく知りません。
以下は、私の勝手な推量です・が、・・・よかったら聞いてください。
大学卒業後、就職せず、
日本では、全くマイナーなスポーツ「フェンシング」 に
青春というか、人生をかけて
打ち込まれたんじゃないんでしょうか。。。。
しかし、周囲からの 「ニート剣士」 なる陰口・・・
辛かったんだろうなぁ・・・。
金銭的に、いはんや精神的に、
どん底の状態を舐めながら、
「フェンシング」 をメジャーなスポーツにするという夢をもって、
自らの人生を捧げられたんじゃないんだろうか・・・・。
貧困のどん底にあったリンカーン。
乞食のような生活を経て豊太閤。
水のみ百姓の父なし児の不具の運命にないた野口英世。
みんなどん底の中に生きて、
夢を失わず、苦しい中によろこび(希望)を見出して、
自からを捧げた人たちの運命は、やがて明るいんだなぁ・・・・。
そして栄冠に輝いた太田選手が、
家族や仲間、そして見知らぬ多くの人の支えに、
感謝されていました。
すばらしい若者の涙から、
私みたいなオッサンが、生きる勇気をもらいました。
・ | 1956年7月28日生(A型) |
・ | 趣味:犬の飼育(ダルメシアン2頭飼育中) |
・ | 小学2年迄、大阪 |
・ | 小3から小4迄、愛知県岡崎 |
・ | 小5から現在迄、川崎 |
・ | 中学2の1970年、父/光隆が、同地にて、タラオ電機(現コムデック)創業 |
・ | 1980年から1999年 和泉電気(現IDEC)勤務 |
・ | 2001年 代表取締役就任 |