盤屋さん改めTARACO社長のブログ

「ニート剣士」の男泣きに思ったこと・・・

[テーマ:人間の学としての経営]


北京五輪で銀メダルを獲った瞬間、
あのフェシングの太田雄貴選手は、
確か泣いてなかったような印象が私にはあります。

どちらかって言うと、ヤッター!って、
笑顔の印象が強く残っています。

そんな太田選手が、
「森永製菓」への就職決定の記者会見では、男泣き。

それも大泣きしているのを見ました。

オリンピックのメダル獲得の快挙の時には、涙を見せず、
今どき、就職できたことで泣くなんて・・・・。

太田選手のことを私はよく知りません。
以下は、私の勝手な推量です・が、・・・よかったら聞いてください。


大学卒業後、就職せず、
日本では、全くマイナーなスポーツ「フェンシング」 に

青春というか、人生をかけて
打ち込まれたんじゃないんでしょうか。。。。

しかし、周囲からの 「ニート剣士」 なる陰口・・・

辛かったんだろうなぁ・・・。

金銭的に、いはんや精神的に、
どん底の状態を舐めながら、
「フェンシング」 をメジャーなスポーツにするという夢をもって、
自らの人生を捧げられたんじゃないんだろうか・・・・。


貧困のどん底にあったリンカーン。
乞食のような生活を経て豊太閤。
水のみ百姓の父なし児の不具の運命にないた野口英世。

みんなどん底の中に生きて、
夢を失わず、苦しい中によろこび(希望)を見出して、
自からを捧げた人たちの運命は、やがて明るいんだなぁ・・・・。

そして栄冠に輝いた太田選手が、
家族や仲間、そして見知らぬ多くの人の支えに、
感謝されていました。

すばらしい若者の涙から、
私みたいなオッサンが、生きる勇気をもらいました。

    投稿日時:2008年10月29日 10:04

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プロフィール
  • 「多羅尾 光道(たらお みつみち)」
  • (株)コムデックの代表取締役社長。
1956年7月28日生(A型)
趣味:犬の飼育(ダルメシアン2頭飼育中)
小学2年迄、大阪
小3から小4迄、愛知県岡崎
小5から現在迄、川崎
中学2の1970年、父/光隆が、同地にて、タラオ電機(現コムデック)創業
1980年から1999年 和泉電気(現IDEC)勤務
2001年 代表取締役就任
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