オリンピックの女子フィギュア、浅田真央さん、銀メダル。
私も、彼女の演技を固唾を飲んで応援した日本人の一人です。
しかし残念ながら、一歩及ばず ・・・で、
銀盤の神様は、韓国のキム・ヨナ選手に微笑みました。
◆
そして、浅田選手の演技終了後のアナウンサーの質問に、
「そうですね、本当に、ああ、長かったというか、あっと言う間だった」。
そして、涙があふれだし、30秒あまり続いた嗚咽。
浅田選手の、オリンピックの金メダルにかけてきた ・・・・
思い、努力、青春 ・・・・・・そんな彼女の一途な心情が慮られ、
思わずこんな私でさえ、少なからずこみ上げてくる? なにか ?を感じました。
浅田真央ちゃんの演技終了後の、この涙のインタビューが
繰り返し繰り返し、何度も、テレビで放映されるのを見ているうちに、
ふと、私は名前も知らない、あの男性アナウンサーが、真央ちゃんの
「そうですね、本当に、ああ、長かったというか、あっと言う間だった」。
・・・・・・・ 「ごめんなさい。・・・・」
と言って言葉にならなくなって ・・・・嗚咽して、
次の言葉が出てくるまでの空白とも言える、 30秒間くらいでしょうか、
よく、その空白の間を、言葉を入れず、場を繕わず、一緒に待ってあげられたな と、
しゃべらない勇気、待てる勇気とでも言うんでしょうか、
演技直後の真央ちゃんに、しゃべらさないムードがあったのかも しれせん ・・・。
ともかくも、よくぞ、あの空白の間を作ってくれたことが、
真央ちゃんの心情を表出させ、
わたし達、見てるものに、より一層の共感を呼び起こす効果を発揮した と、
繰り返し、繰り返し、見ている内に、そんなことを思っている ・・・自分に気付きました。
◆
人の心を揺さぶる感動に、? 多言は無用 ?ということを知らされました。
不安に対処する有効な方法は、
自分のことを考えずに、人のことを考えることです。
本当に人の困難を目にすると、
自分のそれは大したことではなくなります。
− ダライ・ラマ14世 −
わたしにおいて、心に響く、感銘を受ける言葉との出会いは、
その時々の自分の立ち位置の TPO に多分に影響されると思います。
強くて優しい ダライ・ラマ の先の言葉 が、
今の厳しい経営環境の中で、
先の視界が見通せなくなって焦ってもがいている ・・・・
実に、ちっぽけな存在の私という経営者の心に明かりを灯してくれました。
結局、経営の将来が見通せない ・・・・
イコール、わが身 、わが社 さえ良ければ ・・・
わたしは知らず知らずのうちに、
他者 (経営の視点に立てば、お客さま) への思いやり、いたわり、・・・
すなわち、私という起業家が、最も大切にしている 愛 を見失って、
われさえ良ければといった利己的な考えに陥っていたということに、
ダライ・ラマ14世の言葉から気付かされました。
あらためて、真摯に、心の底から、お客さまのことを思いやる 慮る・・・・
わたし達の未来につながる光明は、
そこにしか、そこでしか見い出せないという わたし共TARACOの経営の原点 に
あらためて立ち返ることができました。
感謝/合掌
今日という日は、
なにを隠そう、わたし達夫婦にとって、結婚25周年にあたります。
当時、わたし28歳。 女房、19歳。
一人っ子の一人娘の、就職したての女房との社内結婚は、
当時、ずいぶんと会社の人たちから揶揄されもし、冷やかされもしましたが、
今となっては、なつかしい思い出です。
更に、高校生時分の息子 (長男) から、
「 ママ19の結婚はあり得ないし、想像できない、絶対、可哀想 」
とかなんとか言われた時がありました が ・・・・
そう抜かしてやがった、張本人の長男が 21か22歳で、
18か19歳のはるかちゃんと、
結婚しちゃったって言うんだから、
世の中、わかんないし、血は争えない もんだなぁ、とつくづく思わされます。
伴侶となった女房のお父さんの深い寂しさを、
わたし達親子は、しっかり心に刻んで、
今後の結婚生活を送ってゆかねばならないことは ・・・申すまでもありません。
つきなみな言い方ですが、
わたしのこの25年間の所感は、長かったようで、
あっと言う間の25年だったように思われます。
この間、女房殿は、
異星人みたいな、わたしという旦那相手に、
奮闘努力の毎日を積み重ねてきた 結果、
いつの間にやら、今では ・・・・・
ターミネーター も、
あの プレデター さえも凌ぐ ・・・・
我が家の アドミニストレーター になられたのでありました。
「 ママ、本当に、結婚してくれて、ありがとう。 」
ネットワークのネットワークの、
そのまたネットワークのネットワーク・・・、
世界中のコンピュータを結ぶ巨大ネットワーク。
この全体をインターネットと呼ぶそうな、
インターネット人口は、世界で数十億人とかって言われてるそうな・・・。
インターネットにアクセスすることで、
限られた人間関係から地球規模の人間関係を構築することが可能となるし、
パソコンの前にいながら、膨大な情報を受け取ることができるし、
また、世界に向けて情報を発信することだってできる、というかできてます。
オンラインショッピング、オンライントレード、ネットバンク・・・ああ便利、便利。
でも、それにともなって、ふと気づけば、やたら 「暗証番号(パスワード)」 だらけ。
しかも、暗証番号(パスワード) のメモなんか貼ってちゃダメじゃん...とか、
誕生日、現住所、電話番号 ・・・ そんな個人情報につながる暗証番号ダメじゃん...とか、
暗証番号をひとつに統一しちゃ危ないじゃん...とか、
ネットバンクなんかに至ってや、暗証番号を強制的に変更させられたり...とか、
更に、パスワード登録をしようとしたら、
どこからともなく、安全性が低いとか、リスクが高いとかって、
勝手に評価されて、少なからず慌てたり...とか。
まぁ、ネット社会で、便利になった分の、その弊害というべきか...。
考えたら、わたしも一体、忘れているのも含めたら、
いくつ暗証番号をもっているんでしょう....よくわかりません、というのが正直なところ。
こんな話を致しますのも、
わたしの父 (83歳) が、つい先日、ATM で 暗証番号 を一回入力ミスしたら、
焦ってしまって、記憶していた暗証番号が飛んでしまい、
挙句、キャッシュカードが使えなくなるというでき事があったからなんです。
息子のわたしが言うのも、恥ずかしながら、
まだまだ80代には見えない、しっかりしているわが親父殿においてさえ、
こういう事がおきるんだから・・・。
今後、世界にさきがけて、高齢化社会に突入する日本において、
こうした便利なハイテク社会が有する弱点に、
どう対処対策していくのだろう・・・かと。
わが親父殿は、その後、数日あけて、自分で銀行の窓口に赴いて、
ちゃんと訳を話して、キャッシュカードを復旧させてこられましたが....。
巷間、かまびすしい通り、
これだけ厳しい景況が長引きますと、
必然的、
わたしも含めた、周りの多くの製造業関連に従事する お父さん達からは・・・、
残業代のカットに始まって、
賞与の大幅カットへとつながって、
最終、給与の減額へと連鎖して・・・・
この時期、誰かれと問わず・・・
「 年収、減った、下がった..」 という話題が、なにかにつけ口の端にのぼります。
で、だいたい、共通した お父ちゃん達の、
「 年収、減った、下がった..」 に続く尾ひれ背びれの話が、
「俺の小遣い直撃だかんネ!」 というもの。
「 確か〜に、確かに。」 と異口同音で納得し合う 我々、お父ちゃん達。
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まっ、やっぱり常識的に考えれば、(考えられないんですけど・・・・ホントは!)
子供の教育費の方が、優先順位、 高いです わな。
で、父ちゃん達は・・・、
「 それで よ、 結局 よ、
俺らの小遣いってのが、家計ん中で、一番優先順位が低いってわけさ。」
「 確か〜に、確かに。」 と再び、異口同音で納得し合う 我々、お父ちゃん達。
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・・・ほんで、どうなるかって、
「 会社帰りの居酒屋へ飲み行く回数が、 激減 さ。」
「 居酒屋の大将が、こないだ閑古鳥が泣いてるって、本気で嘆いてたなぁ〜。」
◆
製造業の不況に端を発した・・・・、
ごくごく身近というか、すんごく下世話な、オヤジ達の
これぞ、デフレ・スパイラル という 経済用語 が、
目に見えるような 笑えるようで笑えない お話 でした....ジャンジャン
・ | 1956年7月28日生(A型) |
・ | 趣味:犬の飼育(ダルメシアン2頭飼育中) |
・ | 小学2年迄、大阪 |
・ | 小3から小4迄、愛知県岡崎 |
・ | 小5から現在迄、川崎 |
・ | 中学2の1970年、父/光隆が、同地にて、タラオ電機(現コムデック)創業 |
・ | 1980年から1999年 和泉電気(現IDEC)勤務 |
・ | 2001年 代表取締役就任 |