最近感銘を受けた言葉に、全てなにごとにおいても、
「 はじめは一波から、そして万波を呼んだ 」
という言葉があります。
自分の都合を後回しに、誰もが相手のことを思いやる優しい一言が、
実は、世界を救う原点なんだと。
そうした心使いは、家族の平和に始まって、世界の平和につながってゆく、
まさしく ・・・・・ 「 一波から、万波を呼ぶ 」
そう言えると思います。
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ことベンチャー企業に限って言えば、
良い商品は売れないという説を見かけたことがあります。
企業家(社長)の視点は、【売価】−【コスト】=【利益】(企業の儲け)
ユーザーの視点は、【価値】−【売価】=【満足感】(ユーザーの儲け)
満足感がマイナスだと顧客は二度と来てくれない。
満足感が大きければ大きいほど、リピート率は高くなる。
満足感を大きくするには、
【価値】の最大化を計るか、
【売価】の最小化を計るかの二つの方法がある。
【価値】を最大化するには、手間と時間がかかる。
【売価】の最小化は、安易な値下げ競争となる。
大企業の場合、値下げ分を補填担保するための資本力がある。
ベンチャー企業では適うはずもない・・・・
ランチェスター経営では、
価値の最大化が、ベンチャーの正しい道と説いているそうです。
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こんな不況の時期に、ありがたいことに、
コードタグ ( ケーブルの行先表示 ) 銘板の大口引合いが入って、
その情報を知った横須賀SOHOの 「チームTARACO 」 のメンバーから、
受注の際には、川崎 (本社) 工数だけでやりきれますか・・・と
自発的に慮って 「 いつでも応援にかけつけます 」 の連絡が入った。
優しい気配りに、ありがたいと思った。
私を含めた、川崎メンバーが、みな健康で、大過なく平穏であれば、
容易に対応できますから 「ありがとう、ご安心を 」 のメールを返した。
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パソコン印刷銘板 の キャッチコピーで広告を打ってきた 「 タラコ銘板 」、
そのパソコン印刷でできる 「 タラコ銘板 」 の特筆すべき優位点を、
私は、ようやく、ここにきて明確に認識しだしています。
・製版工程が不要 ( イニシャルコスト削減 )
・多品種少量に柔軟対応
・レーザープリンタの印刷は速い
・印刷だから、校正確認ができる ( ポカミス除け )
・ラミネート銘板を構成する素材の精度/確度が、ここへきて上がった。
・手貼作業の精度/確度も、ここへきて上がった。
・屋外促進耐候性試験5年もクリアした。
「自分で作れる」 は、タラコの全ての原点で、究極のトータルコストダウンですが ・・・
その最初の一波を起こすことに、試行錯誤・暗中模索してきていましたが、
上記の優位点の統合の中に、一条の光明 を見出しつつあります。
全てなにごとにおいても、
「 はじめは一波から、そして万波を呼んだ 」 ということ。
ICT ( インターネット・コミュニケーション・テクノロジー )
のマーケティングを駆使して、]上記優位点 ( イニシャチブ ) から、
一波 を起こさねばならないと考えています。
今年の夏は、例年の夏に比べて、
夏夏してなかった夏といった印象が、私には強いです。
猛暑日もあって、まだまだ残暑厳しい日もありそうですが、
短かった夏の残り日が消えるのも、もうそうは遠くない感じです。
その証拠に、陽の落ちる時間が、
ついお盆の前までは、7時頃まで明るかったというのに、
ここ最近、6時近辺へとだんだん短くなってきていますし、
巣立ちを終えたヒナやその親鳥たちで、
お盆の頃までは、多摩川の河川敷、
縦横無尽、ビュ〜ンビュ〜ンと飛び回ってた ツバメ達 の姿が
いつとはなしに見かけなくなってしまいました。
台湾やフィリピン、マレー半島の方へ越冬しに飛び立ったのでしょう・・・ね。
アブラゼミ や ミンミンゼミ に交じって、
ゆく夏が、つくづく惜しい、つくづく惜しいと鳴いていると教えられた、
ツクツクボウシ の鳴き声が、ここへ来て増えてきてますし、
結局、この夏が私にとって、短く感じられたのは、
例年なら、わたしの誕生日 (7月28日) 前に、
梅雨は完全に明けて、カンカン照りの真夏日に突入するのに ・・・
「戻り梅雨」 とかなんとか称して、
梅雨明け (関東甲信越地方) 宣言が、
7月20日に確か出たにもかかわらず、
その後も、ぐずぐずした天候が続いて、
この夏は、体の芯から汗かく日が少なかったことが
私にとっては、なにか不完全燃焼のまま、もの足りない気分の短い夏と感ずる、
大きな原因だったと思われます。
しかし、季節は、まったなし。
秋へ秋へと確実に向かっていってます。
さっ、気持ちを切り替えて、充実の、食欲の秋を 満喫し〜よ〜っと。
今年のお盆休みの間で、
私という人が気づいたことに ・・・
8月15日の終戦記念日に向けて、
戦争の筆舌に尽くしがたい悲惨さや、
核の廃絶を唱える番組や報道がなされていたことは、
原爆の唯一被爆国である日本として、よいことだなぁと思いました。
ただ、お盆という、そのもののについては、
帰省ラッシュの高速道路の渋滞や、
新幹線の混雑状況の報道には喧しいが、
お盆そのものの慣習や伝統について語られることは ・・・ まぁ少ないように感じました。
今年、私にとっては、義父 (享年77歳) の初盆ということがあって、
そもそも、お盆とは・・・○×△◇と、自問自答してみましたら・・・・・
いやはや、全くもって、何も知らない自分に気がつきまして、
日本の伝統的宗教行事としてのお盆は、
こんな私が平然と生きてこれたことからして、無くなっていくのかなぁ・・・と思いました。
因みに、皆さんはご存知のこととは思われますが、
キュウリのお馬さんと、茄子の牛の意味は、
「 ご先祖様、馬に乗って早く帰って来てください。」
「 そして、お盆が済んだら、牛に乗って、ゆっくり (あの世へ) お帰りください。」
という意味なんだそうである....。
玄関先に迎え火を焚いて、ご先祖さまが家に帰ってこられるのをお迎えし、
そうしてお迎えしたご先祖さまに、精進料理のお膳で出迎え、
そして、送り火を焚いて、お見送りするそうなんだ、そうな ・・・・・。
年に一度のお盆という時期に、家族親戚一同会して、
自分達のきし来し方を振り返り、
感謝の思いを祈念する ...継承すべき日本のよき慣習だなぁと気づきました。
◆
いずれにしても、そのお盆も、今日で終わり。
お仕事モードへ、ギアをシフトします。
今朝は、地震で起こされた。
日曜の夜半にも、こちらでは、震度4の地震があったそうだが、
わが家は、法要からの帰宅の高速道路車中にあって、誰も気づかなかった。
地震で起こされた寝ぼけ眼で、テレビを着けて見ていたら、
地震で激しく左右に振れる現地カメラの映像が映し出され、
程なく、駿河湾を震源とする、静岡県で震度6弱を記録といった地震の第一報が流され、
早々に、河村官房長官の記者会見と官邸の危機管理への対応が発表されていた。
こんなことをブログに書くのも、思い出されるのが、
1995年1月17日、今日と同じく火曜日の同時刻に起こった阪神大震災。
私自信、元を質せば関西出身、
当時、勤めていた会社も大阪本社の、京都に主力工場もあって、
親戚、知己知人の多くが関西方面で起居生活していながら ・・・
その日の朝のニュースでは、
私自身も経験がなかったこともあって、ぼんやりと ・・・・
「なんか大阪の方で、大っきな地震があったみたいなぁ ・・・・」
「皆なさん、大丈夫 か ・・・・なぁ」
の軽い意識だけで、会社への出社の準備を急いだ覚えが甦ります。
阪神大震災では、悲しいかな、マスコミも、官邸も、今時ほどに震災経験がなく、
更に、政権担当経験のない社会党内閣であったことで、
今時と比べて、官邸の対応も、かなり遅きに失っした感ありの記憶が残っています。
今朝の迅速な関係機関の刻々の対応をニュースで確認しながら ・・・
阪神大震災発生当時の朝のことを思い出すと共に、
大雨台風追撃で、今朝の地震を発端に、
これ以上の大きな災害にならないようにと願う自分がおりました。
私という人は、行列のできるお店とかに ・・・・まっ、並んだこと、 ありません。
端的に言っちゃえば ・・・・ 「待てない」。 「待つことが苦手」。
せっかち、いらち、気短か ...もうもう、いい歳こいて、おはずかしいこってす。
ところで、世の中の大勢は、先週末から、お盆休みに入った感。
「待てない」 私でございますから ・・・
お盆休みとかの大渋滞が予想される高速道路は、余程の理由がない限り、
基本回避の、空いてると思われる都心なんぞへ出かけたりします。
渋滞に巻き込まれ、車が動かなくなるってぇと、私という人は、
当然の如く、イライラが募り、じっーーーとしていられなくなるんです。
そこで、ちぃーーーっとでも、目的地の方角に向かう、
渋滞していないと思われる別のルートを探しては、
実際、どうなるか分かんないくせに、絶対、こっちが早いと理屈を言い張っては、
一般生活道や、道なき道の抜け道らしきルートの方に突っ込んで行きます。
そして、その結果 ・・ ・ ・ ・ たいてい .。oO○
さらに、身動きできないような迷路に入り込んだり、
渋滞避けて、避けて、を繰り返してる間に、結果、ムチャクチャ遠回りして、
「高速走ってた方が、 早かったんじゃないのぉぉ・・・・?」
って、女房に不信・疑惑の視線を投げかけらることを、 まぁ常としています。
お盆休みの大渋滞ではございますが、
私みたいな短気はおこさず、皆さん、気長に安全運転で、お帰りくださいますよう、
アホなオヤジが自戒を込めて、お願い申し上げます。
先週、土曜の夜 (09/08/01) は、
今から遡ること40年前、私が卒業したN小学校。
この春から、そこの教頭先生になった
中学校時代の旧友/Y さんと、30年ぶり、
しかも彼とは、初めてと言っていい酒宴。
しかも、お互いが指名した宴席は、中学時代の旧友/M くんのお店。
Y さん、M くん共に、
年齢は、私が1年先輩の、中学で同じ陸上部で走った仲間。
もちろん、二人も共に、N小学校卒業生。
Y さんとは、陸上部の部長、副部長の間柄で、
中学〜大学に入学するまでの期間、
ずいぶんと二人、青春人生談義を重ねては、
時に、はげしくぶつかり合って喧嘩までした仲。
しかし、大学入学後は、彼は教職の道へと邁進、私は民間企業へ就職し、
お互い進む路が異なったこともあって、
それから今日までの約30年は、年賀状だけのやりとりしかありませんでした。
そんな Y さんと 私 を結びつけてくれたのが、
今回の宴席となった中華飯店の店主/M くん。
先日、ランチを食べにいった時、
「 多羅尾さん、Y さんが、N小の教頭先生で、こっちへ戻ってきたんですよ。」
「 Y さん、土曜とかに、ランチ食べにきてくれるんすよ。」
その一言が発端となって、どうしても Y さんと会いたくなり、
そして、今回、私にとっては、実に気の置けない楽しい仲間との
飲み会が実現したのでありました。
しかも、私にすれば、実は、久しぶりの我が家以外での酒席。
加えて、50代のオッサン、3人3様の異業種交流懇談会の態を成した
それはそれは、面白い情報交換の場でもありました。
面白い話はつきないのですが ・・・
50代の、気の置けない、真面目に、まじめに働く オッサン達 が集まったら、
必ず話題にあがる話のひとつに、
お互いの 「借金 と その支払期間 」 を情報交換し確認し合うという、
ある面、悲しい習性があることに気がつきました。
そして誰か (私でしたが・・・) が、
「借金は、働く発電機だよな 」 とかなんとか言って、
お互いに、なんとなくお前もか ・・・・ と共感し合って、その場が終わるんです。
50代という年代を象徴するひとつに、「 借金 」 があるよなぁ ・・・・・
40代の時に比べて、体力面での自信を喪失しつつ、
子供は、確かに成人してきつつあるとは言うものの、
まだまだ、おやじ、踏ん張って、頑張って、辛苦って、
働いて稼がなくちゃなんない世代が、 50代なんだなぁ ・・・・・
しみじみと帰りの電車ん中で、車窓から走る景色をながめながら、
一人、 思ったんでありました。
M くん、そして M くんちの皆さん、
心からの おもてなし、 ありがとうございました。
・ | 1956年7月28日生(A型) |
・ | 趣味:犬の飼育(ダルメシアン2頭飼育中) |
・ | 小学2年迄、大阪 |
・ | 小3から小4迄、愛知県岡崎 |
・ | 小5から現在迄、川崎 |
・ | 中学2の1970年、父/光隆が、同地にて、タラオ電機(現コムデック)創業 |
・ | 1980年から1999年 和泉電気(現IDEC)勤務 |
・ | 2001年 代表取締役就任 |