1000社とか、1000人とか・・・
いや、それ以上、10,000社とか、10,000人とか・・・・
いやいや近い将来50,000社とか、50,000人以上とか・・・・
そんな数のお客さまに、どう営業を仕掛けたらよいのか?
ともかく、これ迄の私の20数年に渡る、
営業のキャリアの中において、
そんな大勢のお客さまを対象に、
営業を仕掛けたことはなかったわけです。
そんな大勢のお客さまの要望に、
どうお応えしたらよいのか、
皆目検討がつかなかったわけです。
なんつったって、これ迄は、
1,000社で1億を造る営業ではなく、
1社で1億を造る営業のキャリアしかなかったのですから。。。。。。
極論を申せば、
ここぞというお会社の、
特定のお一方様を探し出し、
そのキーマンに、徹頭徹尾、
営業を仕掛ければ、良かったわけです。
だから、そんなキャリアの私が採った、
TARACO事業の営業戦術は、
「世にない、良いものや、サービスを創れば、必ずや売れる」
という信念というか、信仰のもとに・・・・
1)業界タブロイド紙への広告記事掲載によるPR
2)展示会への出展
3)カタログ、サンプルのダイレクトメール
4)検索エンジン対策
ただひたすらに、上記の営業手法の真摯な繰り返し。
もちろん、お客さまからのお問合せやクレームには、喰い付きましたが、
我々から、お客さまへ、一方通行のワンウェイ、情報たれ流しの営業で、
積極的に、双方向のフィードバックをとる営業は、全くしかけませんでした。
まぁ、なんと申しましょうか、おとなしい静かな営業とでも申しましょうか・・・
周りのメンターからすれば、イライラするほどに、
お前、しっかり営業せぃやっていう感じに映っていたのではないしょうか。
私が、フィードバックをとらなかった理由は、
1,000人以上のマス?マーケティングに
精通しているであろうと思われそうな方々に、
一様に、わたしの現況を説明し、
効果的な営業の仕方、手法を、探ってみると・・・・
決まって、そうした方々からのアドバイスは、・・・
◆FAX営業
およそニーズがありそうだと思われる顧客(1000社〜 )に、
ランダムに商品PRやアンケートのFAXをランダム送信する。
■FAX営業に対する、私の考え
こうした、受け手側の都合を無視した、
一方的なFAX送信のやり方は、
わたし共にも、たびたび送りつけられてくるのですが、
その度、わたしは、送信先に対して、
一度として、好感を抱いたことはなく、
小さな嫌悪感を蓄積させているというのが現状で、
この手法は、わたしがトップでいる限り、採用はあり得ない。
◆電話営業(テレマ)
およそニーズがありそうだと思われる顧客(1000社〜 )に、
ランダムにアウトソース会社に依頼しての電話セールス。
俗に言われる、TELマーケティング、略してテレマ。
■テレマに対する、私の考え
やはり、これもFAX営業しかりで、
わたし共に、日常的にかかってくる電話営業に、
好感をもった試しがありません。
例えば・・・
通信料金の値下げにひっかけて、
さもNTTと思わせぶりにテレマしてくる電話屋さんや、
先物取引等々のうまい資産運用話で、
さも社長の知合いでもあるかのようにテレマしてくる金融屋さん。
そんな電話に間違ってでてしまった後の、
あの余韻の悪さは、経験者の方なら共感頂けるのではないでしょうか。
お客さまをおもんぱかった電話やFAX営業ならいいんですが、
全く送り手側のいいたい事、都合だけの営業は、
わたしには出来ません。
■メール及びメルマガの配信
上記同様、お客さまをおもんぱかったメールやメルマガの配信ならば、
容認もできるのですが・・・・
わたし共のホームページを見たことすらないのに、
現状からの売上や集客の大幅アップを歌い文句に、
ホームページ制作を売込んでくるメールなどは、
即、ゴミ箱ゆきにしてしまいます。
今、ふり返れば、
わたしに、1,000人のお客さまの顔が、
少しでも垣間見えれば、
逆に、私なりの双方向の営業ができたんです。
それが分らなかったから、
動けなかった。
営業できなかった。
その課題を解消し、こんな私に、
1,000人以上のお客様へ、
営業ができる道を開いてくれたのが、
顧客DB。(お客さまのデータベース)
この顧客データベースのことを、
当社では、『TARACO DB』 と呼び、
このDBを有効活用して実践する営業のことを、
『DB営業』 と言います。
・ | 1956年7月28日生(A型) |
・ | 趣味:犬の飼育(ダルメシアン2頭飼育中) |
・ | 小学2年迄、大阪 |
・ | 小3から小4迄、愛知県岡崎 |
・ | 小5から現在迄、川崎 |
・ | 中学2の1970年、父/光隆が、同地にて、タラオ電機(現コムデック)創業 |
・ | 1980年から1999年 和泉電気(現IDEC)勤務 |
・ | 2001年 代表取締役就任 |